俳句と自由律

俳句は有季定型(季語があって、五七五)という
ルールがあります。

一方で、自由律俳句というジャンルもあります。
季語がなくても、五七五でなくてもいいというジャンルです。

このゆるさが日本らしい。

日本の料亭に行くと、お作法などないと言われます。
食べたいものを、食べたいものから美味しく
楽しんでもらうのが大事と言われます。

俳句も同じです。
楽しんで作ることが大事です。

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なぜ貴族は和歌を詠んでいたのか

平安時代、貴族たちが和歌を詠んでいたのは、
単なる道楽のためではありません。
和歌を詠むのが仕事だったのです。陰陽師が呪文を唱えて結界を張っていたように
和歌の力で国を守っていたのです。

言葉、文字、数にはそれだけの力があります。

その流れを汲んでいる俳句にも
もちろん力があります。

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俳句と季語

俳句には季語があるから難しいという人がいます。

でも、それは逆です。

季語があるからこそ、伝わるのです。
日本人には共通の自然の風景、国の行事があります。
いつ、どんな時のものか、すぐに思い浮かびます。

それが季語なのです。

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俳句と目に見えないもの

古事記の時代までさかのぼると、
イザナギとイザナミが一緒になるというのは、
目に見えないもの(陰)と、目に見えるもの(陽)、
両方バランスを取って取り入れるということを
さしているようです。

だからこそ、自然に対する感謝、
周りの人たちへの愛情、など目に見えないものも
しっかり意識することが大事と解説されています。

それを言葉で表現するのが俳句です。

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俳句と敷居

俳句は敷居が高いという人がいます。

確かにクオリティを求める俳句がほとんどです。
でも、絵にもいろんなジャンルがあります。

写真のようにきれいに描いた風景画も、
ポップな感じの絵も、抽象画も。

そして、小さい子が書いた「お母さんの顔」は
クオリティは低くても心を打ちます。

絵は描くことに意味がある。

俳句も同じです。
作ることに意味があるのです。

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何となくの重要性

学校のお勉強とか仕事は、答えが一つであるとか、
理論的に考えるよう仕向けられます。

でも、数式を解くにも、新しい商品を生み出すにも
ひらめきが必要です。

ひらめきは「何となく」から始まるのです。

写真を撮るとき、「何となく」この角度が好き
というところで写真を撮ります。
理論的に、近影と遠影の割合が・・・なんて
考えません。

それと同じように、「何となく」好き
という感覚で俳句を見たり作ったりするのは
ひらめきの感度を増していきます。

 

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